川内倫子の作品に写真の深淵を見る

こんにちわ。光学ファインダー非搭載のコバヤシモンドです。

 

最近はスマホのカメラもクオリティーが上がりまくってますね。一眼レフみたいな遠近感も出ます。あれはデジタル処理でできるんでしょうかね?

このブログの写真も多くはiphoneで撮ってるんですが、昔はちょっとコバヤシもカメラに凝った時期もあります。ヤフオクで古いフィルムカメラなんかも買って使ってましたね〜。

 

そんな初心者に毛すら生えていないコバヤシですが、写真の真髄を見せてくれたような写真家がいます。川内倫子さんです。

 

写真を撮る時

 

写真を撮りたくのは、どんな時でしょうか。

 

美しいものを見たとき。

珍しいものを記録したいとき。

忘れたくない思い出を残したいとき。

 

人それぞれだとは思いますが、こんなところが多いでしょう。コバヤシも、美しい夕焼けを見ると、思わず写真に収めたくなります。まあ、収めませんが。明日も見れるし。

写真雑誌のコンテストなんかを見ても、すごく美しい風景やほっこり気持ちが優しくなる人々の写真が並びます。桜吹雪が散る池、お祭りのみこしの上で泣く子供、夜空に瞬く稲妻…

 

めちゃめちゃうまい写真ばっかりです。コバヤシの写真とは雲泥の差ですね。ああ恥ずかしい。。

コバヤシ撮影「肉を盗み食いしたけど寝落ちしてバレる野良猫」

美しいものを撮る、ではなく…

 

ところが、川内倫子さんの写真はちょっと、というか全然違います。例えば、コバヤシのお気に入りの写真集「うたたね」

さすがに中身を載せるわけにはいかないので、写っているものを一部書き出してみます。

  • サッカーのゴールの網の切れ目
  • 電車内の天井
  • パンクしたタイヤ
  • 銀歯
  • 死んだハト
  • 茹でているうどん

活字にするとなんのこっちゃわかりません。むしろキモいです。もちろん、ふつうに綺麗な花の写真なんかもあるのですが、いかにも鑑賞されるような花ではなく道端の雑草みたいなのだったり。

 

なんというか、ふつうの人が見て美しい、とは到底思えないようなものを被写体として選んでいるのです。もっというと、通常は失敗としてボツになりそうな写真も作品として収めてしまっています。自分の足が写りこんでいたり、完全に真っ黒の写真とか…

 

しかし、川内倫子のファインダーを通して写真にすると、それが絶大に美しくなります。彼女にしか見えない美、それが写真になることで初めて人は気づくのでしょう。真の美しさは日常に潜んでいると。

これぞ写真芸術の極意では?とコバヤシは思うわけです。

 

そしてこの写真集のサブタイトル。「死んでしまうということ」

 

…なんか、カッコよすぎませんか?ずるいです。コバヤシもこんなのがよかったです。この人の写真に衝撃を受け、コバヤシはカメラを持つ自信をなくしました(泣)

 

それにしても、「死んでしまうということ」とは…?

コバヤシは深読みして、「死んでしまうということは、生きているということだ」と受け取ったのですが、どう思います?

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まとめ

 

コバヤシの自信を喪失させたとはいえ、川内さんの写真はほんの少しのグロテスクさと美しさと優しさが共存する、最高のアートのひとつだと思います。写真に限らず、アートに興味のある方は一度手に取ってみてはいかがでしょうか。

 

また、うがった見方かもわかりませんが、ビジネス的なアプローチの方法としても、クリエイターの方達には参考になるものではないでしょうか。

一見無価値のようなものに、価値を見出すような視点。ミスショットのような写真を作品に入れ込むことで、独特の行間を生み出す感覚…

 

アートというものは受け取り方は人それぞれだと思いますが、少なくともコバヤシは川内さんの写真に感覚的にも思考的にもいい影響を与えてもらいました。

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