考えた

コバヤシ自省録 その1

毎度です。哲学者のコバヤシモンドです。

 

今回は日々浮かんでは消える雑多な思いをメモ感覚で記していこうと思います。

 

「仕事」と「お金を稼ぐこと」は別物

 

「仕事」とは何か?の定番の答えは「お金を稼ぐこと」というのが大部分。

 

利益を出すことで経済を回し、社会に貢献することになる。

 

しかし、それは資本主義的な価値観に限ったことではないでしょうか?

 

利益を出さない仕事も存在する。非営利団体は利益でなく、寄付金などで運営されるが、彼らの活動も間違いなく「仕事」といえます。

 

古代の裕福な人たちはお金を稼ぐための労働はしていませんでした。お金は彼らの所有する奴隷が稼いでくれたから。代わりに、彼らは戦いに行ったり、自費で都市を整備したりしました。

 

古代ローマは非常に税金が安かったといいます。市民権保有者は直接税がなく、消費税や相続税などの間接税のみを払っていたらしい。市民権をもっていない人でも収入の10%の直接税がかかっただけです。

 

それでも国家がやっていけたのは、裕福な人たちが自発的に公共事業などを負担していたからです。

 

彼らの仕事は、「お金を稼ぐこと」というより、「有意義にお金を使うこと」といえるのではないでしょうか?

 

いや、稼ぐか使うかに関係なく、社会になんらかの働きかけをして改善することが仕事なのです。

 

そう考えると、お金を稼ぐこと=仕事という図式は非常に仕事の視野を狭めてしまいます。お金を稼ぐ方法と仕事は分離して考えるべきではないでしょうか。

働かざるものでも食ってよい

 

例えば、不労所得で生活する人は一般社会の人からはあまり受けがよくないように思われます。

 

しかし、不労所得で生まれたお金を使って社会に貢献する活動をするとどうでしょう。それは立派な仕事と受け止められるでしょうか?

 

それとも仕事をせずに収入を得ている、という事実で人からうとまれるでしょうか。

 

今の社会では後者の受け止められ方をするような気がします。

 

ほとんどの人はお金を稼ぐために辛い思いをしているから、その労働をしていないのにお金を得ることができる人を認めたくないのです。自分たちの「仕事」をする理由を否定されたようになってしまうから。

 

しかし「仕事」と「お金を稼ぐ手段」を分離して考えられれば、そんな感覚は起こらないでしょう。

 

先ほど書いたように、「仕事」とは社会に働きかけを行うということです。それが、たまたま収入源と一緒になっている人もいれば、仕事と収入源が別になっている人もいる。

 

それだけのことです。

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まとめ

 

こんな考えをする人が増えていくと思いますが、また世代間対立みたいなものが起きるのでしょうね。まあ、そんな対立はいつだってありますが…

 

でも、分離型の考えで生きられるほうが絶対に楽しいですよね?

 

みんな同じ働き方であるべきだと思うから、比較してしまい、妬みやコンプレックスや傲慢が生まれます。みんなが別であると認識すれば心も乱さずにいられるでしょう。

 

多くの人が生きる手段としての仕事と、生きる目的としての仕事を混同してしまっています。

 

もちろん、考えた結果どちらもイコールだという人もいるでしょう。が、人生は別につらい思いをしなきゃいけないわけじゃない、と考えるコバヤシでした。

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