以前、コバヤシモンドは自身のビジネスについてこのようなアドバイスをいただきました。
「ただいきなり売り出そうってのは難しいよ。ちゃんとコンテンツをブラッシュアップして、SNSとかでブランディングしてからローンチしないと」
その時には意味も理解できませんでしたが「おお!デキる人から貴重な助言をいただいた!」となんとなく圧倒されてしまいました。
NewsPicksなどの意識高い系メディアには小難しいビジネス用語が散りばめられています。
「マネタイズ」「フロー」「コミット」「リテラシー」「マーチャンダイジング」「エグゼクティブ」「エビデンス」「コンセンサス」…
どれもコバヤシの働くド田舎の販売店ではまず使うことのない言語です。文章の中にしか存在しない文語体であり、この言葉を実際に使う仕事があるなど都市伝説ではないかという思いでした。
それとも、バリバリ働くエリートビジネスマンは、ユーザーベネフィットにフォーカスしたプロジェクトをローンチし、フルコミットしたあとはアフター5にギロッポンのチャンネーとシースーに行ったりするのでしょうか?
どうなんでしょう?都会の外資系やIT系の人たちはわりと普通に使うとか?誰かコメントください(リアルに知りたいです)。
なぜこのようなセンテンスになるのか
なぜ、意識高い系の人たちはこのように難しい外来語を使いこなすのか。コバヤシ的に幾つかの理由を考えてみました。
仮説その1 必要性から
東南アジアやアフリカなどの新興国では、大学の授業は現地語でなく英語でおこなわれるということです。
それは別にグローバル化を見すえて、とかいう理由ではありません。
現地語には、近代学問で使われるような専門用語に該当する単語が存在しないためです。
近代科学は西洋で生まれ、西洋で育ちました。当然、用語も一緒に西洋で育ちました。
しかし、新興国にとってはここ数十年でいきなり入ってきた言葉に現地語で合わすには無理がありました。地域によっては湖も、沼も、海もすべて同じ単語で表現するような言語もあります。
よって、大量の新しい言葉を作るよりは、英語を使えるようになる方が効率がいい、ということです。
では、日本でもその理由で難しい言葉を横文字で表すのでしょうか。
答えは「その必要はない」です。
普段使っている我々は意識しませんが、日本語(というか漢字)の大きな強みは「柔軟性」です。音節しか表さないほとんどの外国の文字と違って、漢字は文字そのものに意味を持たせることができるのです。
それにより、新しい言葉を「作り出す」ことが可能になります。蘭学者の杉田玄白はオランダの医学書を翻訳したさい、「動脈」「軟骨」「横隔膜」などの日本語を作りました。
どれも新しい言葉のはずなのに、漢字から意味を理解することは難しくありません。日本語すごい。
なので、例えば「コンセンサス」は「合意」、「マネタイズ」は「収益化」などいともたやすく日本語にできます。
よって、どうしても使う必要があるから意識高い系ビジネス用語を使うというのは否定されます。
仮説その2 英語がかっこいいから
これはあると思います。実際にコバヤシもこの記事の冒頭のアドバイスに圧倒された経験があります。
やはり日本人、英語がかっこいいと感じてしまう。いつまでも敗戦国コンプレックスが抜けないのかなあ。。。
いや、そんな単純な話でしょうか?どうもそれだけではないような気がします。
そもそも英語だからかっこいいならパイナップルやアッポーペンとかもカッコよく感じるはずです。
しかし、今それをドヤ顔で言おうものならよくない種類の笑いが起こりそうです。
なぜ、コンセンサスはかっこよく感じるかを掘り下げる必要がありそうです。
仮説その2−1 一部の人が使うからかっこいい
思えば、「デキる人が使っているイメージ」だからかっこいいのでしょう。つまり「一般人は使わないから」と言い換えることもできます。
この言葉を使えば、一般の人よりもデキる人間、そのグループの一員になったと自覚できるからではないでしょうか。
そして、意識高い系ビジネス用語を使わない人たちからの隔絶。同時に意識高い系ビジネス用語を使う人たち同士の共感と連帯意識。
それらの言葉を使うことによって、自分をより高い位置にグルーピングし、無意識のうちに優越感を得ることができる…
こんなところではないでしょうか?なんかまとまってきましたね。
仮説その3 なんか快感があるから
「自分たちだけの秘密」というのは、えも言われぬ背徳感と快感があるものです。
そこへ、秘密を知らない人がやってきたとしたら…
コバヤシが子供の頃、友人たちが楽しそうに談笑している場面がありました。
「どしたん?何があったん?」と話に入ろうとしたら、
「いやちょっと…何でもない…(笑)」と、あきらかに何でもなくない感じではぐらかされました。
状況から見て、別にコバヤシの悪口を言っていたわけでは決してないでしょうが、コバヤシは凄まじい疎外感と劣等感に苛まれました。まあ、そのあと2分で忘れて遊んでいましたが。
この時の友人たちの心理にヒントがあると思います。多分、あの時は本当に当たり障りのない楽しい話をしていたのだと思います。秘密にする必要もないような。
では、なぜコバヤシに言わなかったのでしょうか。
それは、「秘密の共有」と「部外者の除外」による優越感を得るためだったと推測されます。
あまり語られませんが(語られているかもしれませんが)優越感による快感は、3大生理的欲求である食欲、睡眠欲、性欲に匹敵するものだと思います。
この優越感を得るための行動が、ママ友のマウンティング、カーストであったり、権力闘争であったり、いじめであったりするのです。
優越感を得る方法が暴力的であるか、そうでないかの違いはありますが、本質的には同じことです。
つまり、意識高い系ビジネス用語を使う理由の一つとして、
「難解な言葉を共有することで同類を選定、同時に秘密の共有(ビジネス用語の理解)により意識高い系ビジネス用語を理解しない人たちよりも自らを高い位置にグルーピングし、優越感を味わうため」
が考えられます。
こういう書き方をするとなんだか意識高い系メディアはすごくいやらしい人たちだと言っているような感じがしますが、そんな大げさなものじゃありません。
要するに、ジャンプを先に読んだ子が次の子にジャンプをわたして、次の子がドキドキしながら読んでいるのを見て「俺は内容知ってるもんね〜」と思っているのと同じです。
女子高生が自分たちしかわからない言葉「まじ卍」とかいっておじさま方をきょとんとさせて、「うちらはうちらの世界があるんよ」と思っているのも同じです。
どちらもまったく悪気はありません。
意識高い系ビジネスマンにも悪気などまったくないはずです。ただ、同類・仲間と文化を共有したいという思いがそういう形になっているだけです。
その点では、人は大人になってもジャンプを読んでいる子供のような無邪気さを捨てられないということですね。
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サマリー
ざっくりまとめると、なぜ意識高い系メディアは難しいビジネス用語を使うのかというと、
意識高い系ビジネスマンをグルーピングして自尊心を持たせ、意識高い系である自分たちの顧客としてガッチリ掴むため
といったところでしょう。腰を低くして紙面を売り込むのでなく、意識高い系であれば自分たちを選んでもらえるようなブランディングの一環、というところでしょうか。
勝手な予想ですが、皆さんはどう思われますか?
さて、今回は意識高い系の難しい言葉をいわれたのをきっかけに好き勝手に筆を走らせてしまいました。
自分でもなんとか着地点が見つかったという感覚ですが、どう思われたでしょうか。見切り発車で書き始めて収拾がつかなくなったのは初めてです。
しかし、書きながら考えがブラッシュアップされてまとまってくるというのはおもしろい経験ですね。
とりあえず、センテンスがコンプリートしたのでディテールはオミットしてレストします。
ではでは。
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