コンビニの兄ちゃんに「ちょうど」の定義を考えさせられた事件

アインシュタイン肖像 アホな話
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常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである。

アルバート・アインシュタイン

思わずハッとさせられる言葉ですね。この名言を聞いてから、コバヤシは人に対して「そんなのは常識だよ」みたいなことを言うのをやめました。

改めまして、常識では考えられない男、コバヤシモンドです。

常識というのは要するに自分の思い込みであって、すべての人に通用する理念など存在しないということですね。言い方を変えると、常識か異端かはただ同調する人が多いか、少ないかといったところです。

常識といった概念を捨てれば、世界はとても広く感じます。人によって思いは違う。心地よいもの、不快なもの。自分はこう感じるけど、あの人はこうなんだな。

それをお互い受け入れるだけで、心に余計な波風など立たなくなります。違うことに対して違和感などなくなります。安らぎをありがとう、アインシュタイン。

しかし…

先日立ち寄ったコンビニで考え方の違いに動揺してしまうことがありました…

まだまだアインシュタインの境地は遠い。。

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482円ちょうど事件

コバヤシが仕事帰りの帰り道でコンビニに寄ったときのことです。

買ったのはペットボトルの飲み物とちょっとしたスイーツ。いたって日常的な一コマです。

しかし、レジで事件が起きました。

「いらっしゃいませ〜。2点で482円ちょうどになります。」

!?

(482円ちょうど??!!)

その瞬間、コバヤシの頭は真っ白になりました。なぜ、このコンビニの兄ちゃんは「ちょうど」という表現を使ったのでしょうか。

コバヤシの常識では、ここで「ちょうど」が出るとは予想外です。コバヤシはまるで宇宙空間に放り出された子猫ちゃんのように動揺を隠しきれませんでした。

しかし、ここでアインシュタインの顔が浮かび、コバヤシの脳裏に語りかけました。

常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである。

アルバート・アインシュタイン

そうだ…常識なんてこの世界には存在しない。常識に囚われた時点で人は思考停止してしまう。止まれば水だってよどんで腐ってしまう。コバヤシはこんなところで立ち止まるわけにはいかないのだ。

まず、なぜこの兄ちゃんが482円に「ちょうど」という表現を使ったのかを考える必要があります。

そして、この「ちょうど」に対してどのような対応をするかでコバヤシの真価が問われる、そんな局面を迎えたといってよいでしょう。

Case1: 兄ちゃんにとっての「ちょうど」

「ちょうど」というのは一般的にキリのいい数字を指すことが多いですが、個人によってはその人だけに「ちょうど」と感じる数もあります。

例えば、身長が182cmの人がいたとして、昔の長さの単位「1間」が182cmだと知った時、「ちょうど俺と同じだ」と感じることでしょう。

熱めのお風呂が好きな人は42℃のお湯に入って、「ああ〜ちょうどいい」というかもしれません。

彼にとっても482が「ちょうど」な何かだったのかもしれません。彼女と別れてちょうど482日目だったとか、ちょうど482回目のバイト出勤だったとか。

この場合、彼の「ちょうど」に対してコバヤシは特に反応する必要はないでしょう。

Case2: 「ちょうど」の尺度の違い

明治時代は1円=1ドルと設定されていました。もちろん物価も全然違ったので、1円でも今よりかなり価値が高かったです。

なので、人々は補助通貨である「銭」(=1セント)を日常で使っていました。ちょっと高額な買い物では1円98銭とか言う金額だったのかもしれません。

となると、2円とかを「ちょうど」と表現しても不自然ではありません。

もしかすると、このコンビニの兄ちゃんは明治維新後の世界から何らかのトラブルで現代にやってきたサムライの生き残りという可能性も否定できません。そういえば、彼はヘアスタイルはザンギリ頭だったような気がしてきました。

そろばん仕事から慣れないレジ打ちを始めることになり、さぞ苦労していたことでしょう。

そんな中で、482円を「ちょうど」と言ってしまったのなら誰がそれを責めることができるでしょうか。

我々にとっての「ちょうど」と彼にとっての「ちょうど」の認識にズレがあるというケースです。

Case3: 「ちょうど」の要求

最後に考えられるのは、兄ちゃんの「同調を求める声」が暗に隠されていると言う可能性です。

つまり、(482円ちょうどで払えよ)と言う要求が込められているというケースです。

レジの中に小銭が残っていなかったからとか、何かしらの理由があるでしょう。しかし、そこはこの際重要ではありません。

問題なのは、この要求を受けなかったらどうなるのか、です。

——シバかれるかもしれない…。

しかし、さすがにその心配は大げさすぎます。釣り銭が足りないからといって客をシバくコンビニ店員がいるでしょうか。

それに、このコバヤシとてジャッキーチェンの映画を見て戦闘のイメージトレーニングは欠かしていません。高校時代はヤンキーの友達だっていました。ザンギリ頭のコンビニ店員になにをビビることがあろうか。

でも、

——シバかれるかもしれない…。

ちなみに、これまでのCase1,Case2,Case3のすべてを想定したとして、導き出されるコバヤシの次の行動の最適解は、

482円ちょうどで払う

です。これなら誰も傷つきません。

財布には小銭はたくさんある。つーか小銭しかない

これで482円ちょうどを出しました。

「482円お預かりします。」

あ、そこはちょうどって言わんのや…

平穏な日常が戻ってきました。

こうして、いつも通りコンビニを出て、帰途に着いたコバヤシでした。

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まとめ

日常の風景

生きていると、今までの常識が通用しない場面に遭遇することもあります。

そこで、いかに常識という枠組みを脱却できるかということで人の人生は変わっていくものだと思います。

おそらく、このコンビニの行動によって、コバヤシの人生は今とは大きく変わっていたことでしょう。

正直、こんなことを書いているヒマがあったらもう少し時間を有意義に使えばよかったと思うコバヤシです。

どうも失礼しました。

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